いわゆる、技術や、学問というものの、最後、完成形というものを説明します。
その前に、わかりやすい例えを示します。
「俳句」という言葉遊びがあります。
五七五の17音で構成される文章は昔から日本で親しまれてきました。
その元となる日本語は、五十音を基本とした100にも満たない要素で構成されています。
つまり、俳句自体の数は、多くとも100の17乗、約100溝ということになります。
「ヴ」や「ぁ」のように無理やり要素を増やすこともできます。
しかし、要素が限定されている以上、その結果は有限である、ということを理解して欲しいのです。
ここで本題に戻ります。
察しの良い人はお気づきかもしれませんが、この現実の世界で五十音のように要素となるものは、「素粒子」、「座標」の2つです。
「何が」、「どこで」を素粒子と座標で表します。
新しい素粒子の発見や、素粒子よりも小さい概念が出てきたり、mmやミクロ、マイクロ、厳密に言ってしまえば、完璧な座標の特定は不可能ですが、理屈として、これが科学の最後になります。
宇宙上の素粒子の種類と座標を突き止め、それに移動方向を組み合わせれば、過去も未来も思いのままに再現、創造することができます。
とんでもない記録能力と演算能力が要求されますが、遥か未来のパソコン的な何かがやり遂げてくれるでしょう。多分。